江戸時代中期、財政難や飢饉に見舞われた
破綻寸前の米沢を何とか救おうと奮闘する
一人のお殿様がいました。
「なせば成る なさねば成らぬ 何事も
成らぬは人の なさぬなりけり」の言葉を残した
米沢藩 第九代藩主 上杉鷹山公(うえすぎようざんこう)です。
私たちが作り続けている
上杉藉田米(うえすぎせきでんまい)は、
鷹山公の「あきらめない心」が込められたお米です。
もう無理だ。何をしても変わらない。希望がない。
こんな声があふれている今の社会にこそ、
この精神がなくてはならないものだと信じています。
一七五一年、江戸時代の中頃に
鷹山公が生まれました。
幼い頃から聡明で学問や武道に励み、
十七歳で米沢藩の藩主になりました。
その時から、藩を立て直すという
大きな責任を背負うことになります。
鷹山公が藩主になった頃、
米沢藩は大変困難な状況にありました。
何度も続く天災により農作物は育たず
人々は飢えに苦しみ、
また、藩の借金も増える一方で
領民たちは疲弊していました。
この状況を目の当たりにした鷹山公は、
藩を救うために立ち上がる決意をしました。
鷹山公は、無駄な支出を減らし、
自らの生活を質素にすることで、
家臣や領民にも倹約を訴えました。
さらに困窮の極みで心折れかけた領民を想い、
自ら田に入り鍬を持ち、
「藉田の礼(せきでんのれい)」
という儀式を行いました。
当時、藩主自ら田を耕すことは
常識を覆す前代未聞の行為でしたが、
藩主が率先して行動する姿を見せることで、
家臣や領民たちの心を動かしました。
「なせば成る」という言葉を胸に抱き、
何事もあきらめずに行動し続けることの大切さを
身をもって示したのです。
あきらめかけていた領民たちは、
鷹山公の姿を見て
「自分たちも頑張れば、必ず良い結果が得られる」
と感じ、共に努力しました。
「あきらめないと」という心意気が
藩全体を再生させ、
人々に希望と勇気を与えました。
鷹山公の行動は、今でも多くの人々に
希望を与え続けています。
困難な時こそあきらめずに努力し続ければ、
必ず成果が得られるというこの教えは、
私たちの心にも深く刻まれています。
宝は田から。
鷹山公が教えてくれた
「あきらめない心」が
込められた上杉藉田米を、
私たちは大切に受け継ぎ、
作り続けています。
今もその心意気が息づく米沢から、
自力本願のお米をお届けします。
山形県の最南端に位置する米沢市。ここは、これからの未来を切り拓くヒントがたくさん詰まっている場所です。
かつて米沢藩 第九代藩主 上杉鷹山公が愛した米沢は、困窮した藩財政、さらに凶作や飢饉という最悪の状況が重なり絶体絶命の大ピンチでした。しかし、鷹山公はどんなに辛くとも前を向き未来を切り拓くために様々な改革を行いました。なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり。この言葉から「絶対にあきらめない。あきらめずにやれば必ずできる。」という鷹山公の強い意志を読み取ることができます。
逆境を乗り越え、誰一人取り残すことなく、米沢を救った偉大なリーダー上杉鷹山公。厳しい環境の中に希望を見出し、新たな取り組みにチャレンジして繁栄の礎を築き、何事も前向きに挑戦することを後押しした鷹山公の心意気が息づく米沢は、現代に生きる人々にとって忘れてはいけない大切なことを教えてくれる場所です。